1980年代〜1990年代に撮影した京王帝都電鉄(当時)以外の鉄道写真です。JavaScript対応ブラウザでは写真をクリックすると拡大表示できます。
当時の京王線、井の頭線の写真は京王研究室の「グリーン車たちの黄昏」、「臙脂帯の輝き」、「ステンプラの色彩」をご覧下さい。
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1984年当時、デハ70形8両、デハ80形6両、デハ150形4両の計18両が在籍していました。デハ70形は1942年〜46年に製造されましたが、1978年〜83年の室内外更新工事により原型と異なった外観になっていました。デハ80形は1950年、デハ150形は1964年に製造されています。その後1994年からデハ70形、80形の駆動装置が釣掛式から平行カルダン式に更新されました。1999年より300系が入線し在来車は全車廃車になりました。
300系の写真は「ステンレスの光輝」をご覧下さい。
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1984年は狛江駅などが地上にある時代でした。当時の最新鋭車は8000形で、HE車(2400形)の急行も走っていました。同時にFM車(2200形他)の廃車が進行しており、写真の2229Fは1984年6月30日に廃車となっています。2463Fは1986年11月30日、2467Fは1987年12月16日にそれぞれ廃車となっています。8257Fは1987年4月に標準色に戻りました。
現在の写真は「ロイヤルブルーの潮流」をご覧下さい。
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1985年の時点でモハ1形101〜104、106、107、モハ2形108〜112、モハ3形114、1000形1001〜1004の計16両の旅客車が在籍していました。この頃ATS取り付け工事が行われていましたが、110の運転台の写真は取り付け工事前のものです。後年モハ2形がカルダン式駆動に改良されています。写真の101は2002年に廃車になっています。
現在の写真は「鉄の道アルバム」をご覧下さい。
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北陸鉄道浅野川線は北鉄金沢-内灘間6.8kmを結ぶ路線です。1996年3月の時点では架線電圧は600Vでした。元京王井の頭線3000系である8800系、8900系の入線により、1996年12月19日に架線電圧を1500Vに昇圧しました。このため旧型車は全車引退しました。また2001年には北鉄金沢-七ツ屋間が地下化されています。
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1990年頃の中央本線上諏訪では、乗り入れてくる飯田線の車両も含めて、様々な塗色の車両が見られました。183系1000番台は「グレードアップあずさ」、169系N34編成は「快速みすず」用塗色、119系I17編成は「するがシャトル」用の塗色で、現在は見られないものです。
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1997年10月1日の長野新幹線(北陸新幹線)の開業に伴い、信越本線の横川-軽井沢間(碓氷峠区間)が廃止になりました。碓氷峠区間は最大66.7‰の勾配があったため、横川駅および軽井沢駅で補助機関車の連結・解放をしていました。
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1982年11月15日の東北・上越新幹線開業前の東北本線や上越線には上野発のL特急が数多く走っていました。撮影場所は赤羽駅です。現在の赤羽駅は高架になっていますが、当時の東北本線のホームは地上にありました。駅の西側では新幹線+埼京線の工事が始まっています。
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山田線は盛岡-宮古-釜石を結ぶ157.6kmの地方交通線です。1999年当時、山岳区間である盛岡-宮古間にはキハ52形、三陸海岸区間である宮古-釜石間にはキハ100系が走っていました。山岳区間のキハ52形は2007年11月24日をもって引退しました。
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