Oka Laboratory

NKTHの連携

京浜急行電鉄と京成電鉄で走っている車両の写真です。京成電鉄傘下の新京成電鉄、成田国際空港の第2ターミナルサテライト連絡シャトルも載せています。都営浅草線車両の写真は「都電の末裔」をご覧下さい。

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京浜急行電鉄

600形

600形は1994年から1996年にかけて8両編成8本、4両編成6本の計88両が全座席クロスシート車両として製造されました。2005年から乗務員室後部と車端部を除く座席をロングシート化する工事が行われました。

800形

800形は1978年から1981年にかけて片開き4扉車として3両編成25本が製造されました。そのうち15編成が1982年から1986年に中間車3両を組み込み6両編成化されました。そして1986年に6両編成2本が製造され、合計132両になりました。1000形(2代目)の増備に伴い、2011年から廃車が始まっています。

1000形(初代)

東京都交通局1号線(現・浅草線)乗り入れ用として、1958年に試作車800形4両(1965年に1000形に編入)が登場し、1000形(初代)として1959年から1978年にかけて352両が製造されました。全車2両1ユニットの電動車で構成されていたため、頻繁に編成替えが行なわれてきました。1968年6月21日の都営1号線相互直通運転開始から2008年11月7日まで都営浅草線、京成線、北総線の各線でも運用されました。1986年から廃車が始まり、2010年6月28日に営業運転が終了しました。その後もデハ1351-1356が救援車牽引用として残りましたが、2011年3月29日に廃車になり形式消滅しました。

1000形(2代)

1000形(2代)は1000形(初代)と700形の置き換え用として2002年から製造されています。2006年までに製造された8両編成9本と4両編成12本はアルミ軽合金製塗装車体、2007年以降に製造された8両編成13本、6両編成10本、4両編成13本(2016年3月現在)はステンレス製無塗装車体になっています。

1500形

1500形は1000形(初代)の置き換え用として1985年に登場した都営地下鉄浅草線・京成線・北総線乗り入れ用車両で、1993年(平成5年)までに166両が製造されました。1985〜1986年製は普通鋼製、1988年製以降はアルミ軽合金製となっています。初期車は界磁チョッパ制御でしたが、1990年製以降はVVVFインバータ制御車(1700番台)で、2006年から2014年にかけて界磁チョッパ車の一部がVVVFインバータ制御に改造されました。2013年に1701Fが廃車されました。

2000形・2100形

2000形は快速特急用として設計された2扉クロスシート車で、1982年から1987年に8両編成6本と4両編成6本の計72両が製造されました。2100形は2000形の後継車として1998年から2000年に8両編成10本(80両)が製造され、2000形は3扉ロングシートへ格下げ改造されました。

駅舎

駅舎などの写真です。

京成電鉄

3000形

3000形は2003年から6両編成25本と8両編成13本が製造されました。車体は京王9000系と同じ日本車輌製造ブロック工法による軽量ステンレス製です。このうち、2010年7月17日に開業した成田スカイアクセス線経由で運転されるアクセス特急向けとして製造された8両編成6本(3050番台)は仕様変更が行なわれています。

3300形

3300形は1968年から1972年にかけて4両編成12本と2両ユニット1組の計50両製造されました。登場時は赤電塗装でしたが、1980年代にファイアオレンジ塗装に、1993年から1998年にかけてライトグレー系塗装に変更されました。2009年からリバイバルカラー編成として3356Fが青電、3324Fが赤電、3312Fがファイアオレンジになりました。2003年から廃車が始まり、2015年に全廃され形式消滅しました。

3400形

3400形は初代スカイライナーの走行機器類と新製の普通鋼製車体を組み合わせて、1993年から1995年までに8両編成5本が登場しました。

3500形

3500形は1972年から1982年までに4両編成24本96両が製造されました。車体はセミステンレス構造で、京成初の通勤冷房車です。1996年から2001年にかけて3556Fまでの14編成が更新されました。2003年から未更新編成の廃車が始まりました。

3600形

3600形は軽量ステンレス構造の界磁チョッパ制御車で、1982年から1989年にかけて6両編成9本54両が製造されました。1997年から8両編成化が行なわれ、界磁チョッパ制御の8両編成6本とVVVFインバータ制御の6両編成1本に組み替えられました。

3700形

3700形は軽量ステンレス構造のVVVF制御車で、1991年から2002年にかけて8両編成15本と6両編成2本(3828F、3838F)の計132両が製造されました。

特急車等

AE100形は2代目のスカイライナー用車両として1990年に営業運転を開始し、1993年までに8両編成が7本(56両)製造されました。2010年7月17日の成田スカイアクセス線の開業に伴い、AE100形はスカイライナーから撤退し京成本線のシティライナー用となるとともに、4編成が廃車されました。そして、2016年2月28日に全車引退しました。AE形(2代)は、成田スカイアクセス線開業に備えて2009年〜2010年に8両編成が8本(64両)製造されました。

連絡シャトルは空気浮上式鉄道(法規上は水平エレベータ扱い)で1992年12月6日に開業しましたが、2013年9月27日に廃止されました。

駅舎等

駅舎や設備などの写真です。

北総鉄道

7500形は親会社である京成電鉄の3000形と同一仕様の日本車輌製造ブロック工法による軽量ステンレス製のVVVF制御車です。2006年2月に8両編成2本が製造、2007年3月に8両編成1本が増備されました。

千葉ニュータウン鉄道

9000形は1984年3月19日の千葉ニュータウン線小室-千葉ニュータウン中央間開業時に2000形として6両2本が登場しました。1990年度に8両編成化用の中間車が増備され、1994年に9000形に改番されましたが、2013年に9008Fが廃車されました。9100形は1995年4月1日の千葉ニュータウン中央-印西牧の原間開業に備えて8両編成2本が製造され、2000年7月22日の印西牧の原-印旛日本医大間開業時に8両編成1本が増備されました。

新京成電鉄

8000形は1978年から1985年に6両編成9本(54両)が製造されましたが、2011年から廃車が始まりました。8800形は1986年から1991年に8両編成12本(96両)が製造されましたが、2006年から2014年にかけて6両編成16本に組み替えられました。8900形は1993年から1996年に8両編成3本(24両)が製造されましたが、2014年に6両編成化され、中間車6両が廃車されました。

路線データ

京浜急行電鉄

路線名 記号 起点 終点 路線距離 軌間 備考
京急本線 KK 品川 浦賀 55.5km 1435mm  
泉岳寺 品川 1.2km 支線扱い
空港線 KK 京急蒲田 羽田空港 6.5km  
大師線 KK 京急川崎 小島新田 4.5km  
逗子線 KK 金沢八景 新逗子 5.9km  
久里浜線 KK 堀ノ内 三崎口 13.4km  
合計 87.0km

京成電鉄

路線名 記号 起点 終点 路線距離 軌間 備考
京成本線 KS 京成上野 駒井野信号場[1] 67.2km 1435mm  
駒井野信号場[1] 成田空港 2.1km 第二種鉄道事業
東成田線 KS 京成成田 東成田 7.1km  
押上線 KS 押上 青砥 5.7km  
金町線 KS 京成高砂 京成金町 2.5km  
千葉線 KS 京成津田沼 千葉中央 12.9km  
千原線 KS 千葉中央 ちはら台 10.9km  
成田空港線 KS 京成高砂 成田空港 51.4km 第二種鉄道事業
合計[2] 153.8km

北総鉄道

路線名 記号 起点 終点 路線距離 軌間 備考
北総線 HS 京成高砂 小室 19.8km 1435mm  
小室 印旛日本医大 12.5km 第二種鉄道事業
合計 32.3km

千葉ニュータウン鉄道

路線名 記号 起点 終点 路線距離 軌間 備考
北総線 HS 小室 印旛日本医大 12.5km 1435mm 第三種鉄道事業
合計 12.5km

成田空港高速鉄道

路線名 記号 起点 終点 路線距離 軌間 備考
京成本線 KS 駒井野信号場 成田空港 2.1km 1435mm 第三種鉄道事業
成田空港線 KS 成田市土屋[3] 空港第2ビル 7.5km
成田線空港支線 KS 成田線分岐点[4] 成田空港 8.7km 1067mm
合計 18.3km

成田高速鉄道アクセス

路線名 記号 起点 終点 路線距離 軌間 備考
成田空港線 KS 印旛日本医大 成田市土屋[5] 10.7km 1435mm 第三種鉄道事業
合計 10.7km

新京成電鉄

路線名 記号 起点 終点 路線距離 軌間 備考
新京成線 SL 松戸 新津田沼 25.3km 1435mm 複線
新津田沼 京成津田沼 1.2km 単線
合計 26.5km

成田国際空港株式会社

路線名 起点 終点 路線距離 軌間 備考
第2ターミナル
サテライト連絡シャトル
本館 サテライト 279m - 新交通システム(水平エレベータ)
日本オーチス・エレベータ製
合計 279m

廃止路線

路線名 起点 終点 路線距離 軌間 廃線日
大森支線 大森停車場前 大森海岸 0.7km 1435mm 1937.3.8
川崎貨物線 川崎 川崎貨物駅 0.5km 1938.7.15
大師線 小島新田 塩浜 1.2km 1970.11.20[6]
塩浜 桜本 2.0km 1969.4.1[7][8]
空港線 羽田空港 穴守 0.8km 1971.1.24[9]
谷津支線 花輪 谷津遊園地 1.2km 1372mm 1934.6.22[10]
白鬚線 向島 白鬚 1.4km 1936.1.27
北総線 北初富 新鎌ヶ谷 0.8km 1435mm 1992.7.8
新京成線 新津田沼(初代) 前原 1.2km 1372mm[11] 1953.11.1[12]
京成津田沼 前原 2.3km 1435mm[13] 1968.5.14[12]

脚注

  1. 京成成田起点6.0km
  2. 京成本線と東成田線の重複部分(6.0km)を除く
  3. 成田高速鉄道アクセス線接続点
  4. 成田起点2.1km、運転上は成田駅構内扱い
  5. 成田空港高速鉄道接続点、成田湯川起点2.3km
  6. 塩浜操車場建設のため、1964年3月25日に小島新田-塩浜間を休止
  7. 1952年1月1日に川崎市交通局に譲渡
  8. 塩浜操車場建設のため、塩浜-池上新田間は1964年3月25日休止、1967年8月1日廃止
  9. 1945年9月27日営業休止
  10. 1931年10月27日運転休止
  11. 1953年10月21日に1067mmから1372mmに改軌
  12. 京成津田沼-前原間の新ルート開通に伴う廃止
  13. 1959年11月30日に1372mmから1435mmに改軌

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